2004年10月07日
ガリシアはケルトか?
手っ取り早くガリシアを知りたいなら、武部好伸さんのスペイン「ケルト」紀行がお勧めです。これはケルトマニアの著者が各地のケルト遺跡を訪ねて周るという、○○「ケルト」紀行シリーズの一冊なのですが、このガリシア編では、その歴史や文化のひと通りの紹介にかなりのページが割かれていて、色々な資料を読み漁る手間が省けます (そしてそういう類の書籍が、残念ながら他には存在しないのです)。
ところで肝心のガリシアのケルト遺跡探訪はどうなのかというと、もちろん幾つか訪れるのですが、失礼ながら正直いずれも大したものではなく、確かにかつてここにはケルト人が住んではいたのだということを偲ぶことができる程度のもので、規模も、現代への影響も、ケルトの遺産を受け継ぐと言われる他の地域のものと比較すると寂しいように思えます。
武部さんも書かれていますが、他のケルト諸地域は、程度の差こそあれ、いずれもケルト人の言語が現代にも受け継がれているという共通点がありますが、ガリシアは確かに独自の言語を有しますが、それはケルトの言葉ではなくロマンス諸語のひとつなわけです。
部外者がガリシアで「ケルトらしさ」を強く感じるのは民族音楽の分野だと思いますが、考えてみればそれ以外で他のケルト諸地域と似通ったものを感じる機会は極めて少ないように思われます。いや、そもそも音楽に関しても、現在のケルト諸地域の民族音楽と言われているものは決して古代ケルト人が演奏していたものではないわけです。
さて、果たしてガリシアはホントに「ケルトの遺産を受け継ぐ地」なのでしょうか?
てなことを思っていたら興味深い文章を発見。2003年の3月に、スタッド・ド・フランスで開催されたイベント「La Nuit celtique」を紹介するル・モンド誌の記事のプランクトンによる翻訳で、以下ポイント部分を抜粋。
あるディナーの席でのこと。ガリシア自治州知事のマヌエル・フラガが「ケルト文化の存在」に疑問を唱えた。フラガは、以前フランコ独裁政権の情報観光相を務めた経験をもつ90歳の長老。彼自身もガリシアの北部に位置するヴィラルバの出身。この村は、人気アーティスト"マヌ・チャオ"の父方の故郷でもある。そのマヌエル・フラガが、ブルターニュ地方、ガリシア地方、アイルランド、スコットランド、アストリア地方をひとつのケルト文化と位置づける説に対して「科学的に実証されているわけではない」と言い放ったのだ。
それに対して、ガリシアのヴィゴ出身で、フルートとガイタのミュージシャンであるカルロス・ヌニェスが反論する。「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼に関する全てのことが実証されているというのですか。されていません。でも、素晴らしい神話ではないですか!」
歴史的根拠から言えば、1131年にサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指したエメリック・ピコーの巡礼の方が、ガリシア地方のケルト文化説に比べて、より信憑性を持つのは確かであろう。しかし、ラモン・チャオ(マヌの父で、ジャーナリスト)は語る。
「ケルト文化の類似性は否定できない。伝説にしても、信仰にしても、料理にしても、それにもちろんバグパイプの存在。確かに、科学的には証明されていない。でも美しい話じゃないか。私が自分をケルト民族だと感じるのは、美しいかどうかの基準に拠っているね」
ガリシア州知事の発言としてはかなり問題あるかと思われますが(どういう文脈で語られたのかはわかりませんが、この人物の経歴を考えればあり得ない発言ではないw)、「科学的」という点では、フラガの発言は至極正当なもので、カルロス・ヌニェスやラモン・チャオの反論は歩が悪いわけです。
ガリシアにおけるケルト云々は、ガリシア主義が生まれ育っていく過程で、スペインの他地域との差別化を図る上で強調されていった要素なのであろうと思われます。
Category: ガリシアのお勉強
Posted 2004年10月07日 23:09
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